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生まれの納得感のなさを飼い慣らす

重たいものを床に落としたような音で目が覚めた。寝ぼけ眼のまま周囲を見渡したが周囲に異常がなかったため、そのまま二度寝に移行する。そして、いつもの時間に目覚めて朝日を取り込むために窓を開けると、そこには足と羽を折った小鳥が横たわっていた。

あの音は窓ガラスに小鳥がぶつかった音か、と合点がいくと同時に、小鳥は自分を認め、足を引きずり、羽を不器用にはためかせながら隣のベランダに逃げ込んだ。床には血痕が残っており、隣のベランダを覗くと荒い息遣いの消えゆく生命が、警戒するように自分を観察している。そこから 2, 3 日は消耗していく小鳥を観察できたが、結局その小鳥がどのような運命を迎えたのかはわからない。

小鳥にとって窓ガラスにぶつかることはただ運がないことだった。まあ、今回の場合ここに建物を建てた人間が悪いのだが、同様の不運は自然界にそこらじゅうに転がっている。小鳥の今までの行いに問題があったわけではなく、ただ運がなかった、というだけである。自然界では老衰すら許されず、出目の悪いロシアンルーレットを毎日引いている。

『金沢城のヒキガエル』という本によれば、孵化したヒキガエルのオタマジャクシの一年後の生存率は 0.3% とある。大部分の 99.7% のオタマジャクシ・子ガエルは捕食されたり乾燥して命を散らす。遺伝子から見れば 0.3% の確率でちゃんと成功しているが、99.7% 側の悲痛に関してはさもこの世に存在しなかったかのように扱われる(ちなみに、今まで地球上に誕生した種の 99.9% は絶滅している)。

そういった自分では制御できない運の要素に対する納得感のなさは、捕食されることが稀な私も人生を通じてずっとある。例えば、出身、両親、性別、容姿、才能、遺伝子、遅生まれ、早生まれなどの固定パラメータは俗な言い方をすればガチャだし、変動パラメータをいじれる努力も、諸説あるが努力できる才能を持っているかというオチ。海賊王に焦がれた少年も、落ちこぼれの忍者も、結局は血筋であり、さらに強烈な願いを持ち続ける才能があり、また努力を継続できる才能があり、敵が適正レベルで登場するので成功体験が多々あった。

そもそも生まれ落ちたこと自体、運がなかった。卵子に辿り着いた精子が私だったという逆宝くじ一等賞の運のなさにより、生きよと綴られた鉄鎖に繋がれた。すべて運からまろびでて来たのに、人生では罰ゲームとばかりに労苦や悲痛で魂が濁る。たまに幸福で希釈できるものの濁りは消えることはなく、再び不幸に揺り動かされ底に沈んだ澱が舞い上がる。このように運がなく生まれ落ち、およそほとんどのものが運によって決まる世界に心の底から納得することは非常に難しい。

納得感がない故にだから不安に食い散らかされる。その不安は芥川龍之介的に言う「唯ぼんやりした不安」という名の獣なのだが、無理矢理に言語化すれば、例えば、世界に背中を蹴られながら何か大それたことをしなければという焦燥感、凋落していく日本で文化的最低限度の生活を送れるのかという疑問、SNS を通して見せつけられる隣の芝生の青さ。我々は日々、不安という路傍の石になんとか躓かないように生きているに過ぎない(あるいは躓きながら生きている)。

そんな高校生時分から抱えている自分が生きていることに対する納得感のなさをようやく飼い慣らしたような気がする。いや、飼い慣らすといっても月に一度は不安という獣に食い散らかされ、その傷を修復するためにまた一ヶ月の修繕を要するという有様なのであるが。だから飼いならすというよりは復元力が鍛えられているという表現が正しいか。

不安を分解して強引に引っ剥がすと、生活の不安がそこには隠れている。そして、その種の不安の解消はあまりにも俗っぽいが、お金の力で解決できることがままある。

お金に余裕があれば、食べると惨めな気持ちになる格安の素麺ではなく揖保乃糸が買える。引越し先の隣の住民ガチャにはずれればすぐに引っ越すことだって能うだろう。また、性別と容姿は今の医療技術ならばある程度は変えられる。選択肢をぐっと良くしてくれる役割や、生まれ持ったどうしようもないパラメータに下駄を履かせてくれる、そんな役割がお金にはある。

だから、この資本主義社会においてお金に余裕がない状態は、狩猟時代の飯がないという不安と同じレベルものだ。お金がなければ空腹と同じような痛み、思考の狭まりを常に味わっているのと等しい。

お金で不安を減らすことに意識的になって、二十代後半から資産運用を始めた。手取りの半分を貯金に回すことは働かずに過ごせる将来の一ヶ月を得るのに等しく、泥臭い資産運用をすれば期間が伸びることが確率的に証明されている。

ある日、自分の心の奥底にある生まれの納得感のなさが暴走して生活費を稼ぐということをしなくなるかもしれない。その恐怖は、ある程度の資産が積み上がった今も消えず、生活レベルは就職したてに毛が生えたものを維持し続けている。今の生活レベルであれば何年働かずに生きられるか、のような夢のないことに自分はどうしようもなく安心感を覚える。キラキラワードで飾れば FIRE (Financial Independence, Retire Early) と呼ぶのであろうが、不安や息苦しさ、劣等感から縁がちょぐらいのショボいものである。