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新しさを求める

個人的に INFOBAR 2 は最先端の新しさだったのだけれど、アプリ開発に興味があって iPhone 4 にデバイスを買い替えた時は、これこそが次の新しさだと思った。デバイスの質感はもとより、当時のスキューモーフィズムは魅力的に感じたし、自分でもリアルな質感を表現しようとデザインした。iOS 7 以降はフラットデザインが採用されたが、これまでの新しさをシンプルな表現に落とし込もうとする努力を感じると同時になんか違うなと思った。そこでは、すりガラス効果を使うとそれっぽくなる世界なのだけれど、実装方法が公式に用意されていなかったし、エッジスワイプの時に汚くなるし、背景にある画像が透ける(=レイヤーを意識させる)のが日常作業にはなんだか鬱陶しい印象しか与えなかった。だから、macOS ではその効果を切っている。

Android はマテリアルデザイン登場以前は野暮ったい感じだったのだけれど、登場以降は自分の新しさの感性に合っていた。デバイスが大型化する中で使いやすさを意識されていた。例えば、iOS では未だに UINavigationBar = 44px, UITabBar = 49px の拘りを捨てきれておらず、大型化された端末にとっては使いにくいように思える。Nexus 5 に Android 5.0 を入れた時は、Android を普段使いすることに決めた。また、今後は Pixel シリーズに期待している。ただ、特許の関係上 iOS にはあるバウンススクロールがないことだけが、Android の惜しいポイントである。

先日発売された Nintendo 2DS も古いようでどこか新しい感じがする。何がと言われると、言葉にはっきりできないけれど。人間は、言葉なしに新しさを第六感で触ることができるのではないか。利己的な遺伝子によれば、人間はジーンだけでなくて、ミームのためにも生きている。遺伝子は新しさを取り入れようとし、遺伝子の乗り物であるところの僕は新しさを次の世代に伝える。

新しさに関係して好きなことや変わることについて。残念なことに、好きなものはいつまでも好きなこととは限らない。嫌いなものや興味がないものもいつまでもそうであるとは限らないから、後でもう一度触れてみることは大切なはずだ。そして、なるべく毎日、好き嫌いに関わらず、新しいものを取り込もうと努力している。大事なのは素直さだ。物事をなるべく偏見などを廃して見る、そこに込められた新しさを評価する。自分の肌に合わないことが世間で流行することもあるけれど、その新しさが取り入れられた背景を考える。

祖母を見ていると意見を頑なに変えようとしない不変さがあるけれど、少なくとも僕たちの世代は変わることの抵抗は上の世代よりも弱いように観察されるし、新しさを受け入れている。本能的に人間は変わることを恐れるし、昔の体験を美化してしまう傾向があるけれど、これからの時代は変わることのリスクを取っていかなければ生きていけない気がする。社会全体の新しさを取り入れる仕組みは恐らく個人よりものろまだろう。だから常に個人としては出来る限り新しさを取り入れていきたい。