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自慢できる趣味なんてなくて、日常をただただ過ごしてる人に僕は言いたいのだ。ブログ書こうよって

僕は、読書・アニメ鑑賞・音楽鑑賞・映画鑑賞などの趣味を試してきたけれど、なんだか面白くないなと感じてきた。それは、時間あるいはお金を消費して、情報のインプットしか得られないという点が寂しいと感じるのだ。知識は、ネットを漁れば簡単に発掘できるし。

今まで試してきた趣味の虚しさ

それらのインプットをアウトプットに活かせて、自分の成長を確かめられるならば、凄くいい趣味だと言えるのだけれど、多くの場合は、インプットするだけで終わってしまって、すぐにその情報を忘れてしまう。

ゲームは、消費した時間に比例して操作テクニックの向上(充実感に繋がる)が図れるが、それはゲームに飽きるとすべてゼロになってしまう。モンスターハンター3rdで、初期装備弓・ビン・装備なしで、下位アオアシラソロ0分針で倒せてもなんだか虚しいのはそのせいである。

そういったバーチャルな媒体に対する趣味(ゲーム・ネットサーフィン・ネトゲー)に時間を消費しているとやがて、消費した自分の時間に対して何の見返りがあったのだろう?と不安になる。これは、バーチャル世代特有の悩みだと思う。

僕の周りを見渡してもだいたいこんな感じで、成長を実感できそうな趣味を持っている友人は、ほとんどいないのが現状である。

自分の成長を感じるものがない不安

そういった学校や仕事外における主な行動(多くは趣味)で、身の回りに自分の成長の感じるものがないといった状況は、自分の存在の不安定さに繋がっている。それは、履歴書を埋めたときに、自分の価値を表すのが出身校といった情報しかないということに気付いたときの不安に似ている。

だから、自分とはなんだろうと疑問に思って、ただただ不安で焦って、よく分からないまま日々が浪費される。その繰り返しだった。たぶん多くの人が悩んでる問題で、これまでもこれからも多くの人が悩む普遍的な悩みだろうと思う。

これが青春特有の悩みなのか、一個の人間としての悩みなのか分からないけれど。自分探しにインドへ一人旅でもします?

成長を感じるツールとしてのブログ

僕は、この春からブログを書いている(WordPressに書いているのは、8月後半からだが)。きっかけは、iPhoneやMacの知識を吐き出す場が欲しいと感じたからだった。

しかし、そのうちにブログを書くことで、自分という価値が蓄積して、見える化されることに気付いた。自分が成長しているということを情報の蓄積から、客観的に見れることが素晴らしいと思った。

自分が成長していく、積み重ねられていく、という感覚。積み重ねって、古臭いイメージしか思い浮かばないんだけど、積み重ねによって人生は輝くと、今はわりとマジで思ってます。

僕にとって、ブログを書くのが趣味というわけじゃないけど、続けているうちに自分ってなんだろうという問いに少しだけ答えを出せた気がする。

だって、「これです!」ってブログを見れば・見せればいいわけだからね。

自分の軸がプラスされる

ブログを書くことで、今は多くの人と簡単に出会えるようになっている。TwitterやFacebookで気軽に記事にコメントできるし、クラスタによってはオフ会が盛んだ。

僕はこの半年で多くの人と出逢った。ツイッターを通してもそうだし、オフ会を通して多くの人と出逢った。ブログ書いてる人、プログラム書いてる人、立派な家庭を持ってる人、本を書いてる人、企業に勤めている人、日本と海外を行き来してる人、同じ学生でなんかすごい活動をしてる人。まさか学生のうちに、ここまで多くの人と関われるなんて思ってもなかった。

ブログがなかったら、僕はこの半年でここまで自分の環境(あるいは、考え方)が変わることがなかっただろうと思う。ブログで多くの人と繋がれて、自分という軸が一本増えた気がしてる。

ブログというホームグランドが、ぐらぐら揺れていた僕という存在を確固たるものにしてくれた。本当にブログを書いてて良かったし、これからも書き続けていきたいと思う。

だから、日常をただただ過ごしてる人に僕は言いたいのだ。ブログ書こうよって。

あとがき

成長とか変化を難しく感じている人は、部屋を片付けたり、部屋のものを断捨離することでも実感できる。実際に、僕はこの一年、部屋のものを積極的に捨て続けた年でした。

変化なんて割と簡単に感じられるもので、そういったアンテナの鋭さは、ブログを書いてて、身についたような気がしてます。