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小学校の卒業アルバムに将来の夢は「発明家になることです」と書いた

今は夏、僕はあの冬の日を思い出す。

窓ガラスが結露で曇って、その向こうにある透明な空を隠していた季節。

クラスメイト全員の将来の夢を卒業アルバムに載せるために、藁半紙が配られた時、僕はすごく悩んでいた。

僕はその小学6年生の頃に、将来なりたいものなんかなかったし、将来のことなんて全然想像ができなかった。周囲の友達は、まあ、小学生がよく答えるような将来の夢ースポーツ選手だとかーをその藁半紙に書いているようだった。

僕はいくら頭を捻ってもその空欄を埋めることはできなかった。

空欄を埋めることができないのは、僕は周りの友達に比べて、何か欠けているんじゃないかと思ったことをよく覚えている。そのような当たり前を強要される環境は、今、思い返してみるとかなりの暴力だなと思える。

将来の夢は?好きなものは?そういうのがなくったって、別に変じゃないよと今の僕なら言える。

当時、一番仲が良かった友達は、発明家と書いていた。僕は、図画工作が得意だったので(特に、電動糸鋸の技術は、先生よりも上手かった)、それはいい夢だと思って、その夢をまねして、その空欄に鉛筆で「発明家」と書いた。

空欄を埋めた時、ひどく安心したのを覚えている。

そんなことを僕は、愛知県豊橋市、最後の日、カラオケオールをしている時に思い出していた。そんなこともあったよね、という優しい気持ちで今は振り返れる。

何かを発明する・何かを作成するという気持ちは、それ以降の僕を少なからず動かしてきたみたいで、高校は普通高校にいかずに高専に進学して即戦力的な技術を学ぼうとした。

その時にプログラミングを知った。卒業論文は、画像処理について書いた。その時点では、なるほどこういう処理が集まって世の中のシステムが動いているんだなと感じるぐらいだったけれど。

高専を卒業して編入学した大学の研究室では、次は生物を学んだ。小学生の頃、捕まえた昆虫を教室の後ろでよく飼っていたのが学ぶきっかけだった。

一年間、生物(研究では、微生物を扱った)に関する知識を貪欲に吸収した。研究室の先輩からテクニックを盗んだ。研究室の同期で一番実験をした。何回もなんかいも失敗して、そこからいくつかの成功を拾った。微生物の培養から、DNA 抽出、PCR、塩基配列決定、そして同定作業までを学んだ。

そして、卒業論文を書き終えた12月、研究室に配属された頃に感じていた魅力的な何かが、決定的に枯れ落ちていることに気付いた。僕の中で特別な部分をその研究に見出すことができなかった。大学院を同じ専攻で進むことが、その時確定していたのに。

こんな心の有り様で、後2年間ここに留まらなければいけないことにぞっとした。何故、大学院の受験が研究室が始まってたった4ヶ月の時点に設定されているのか、何故、論文を書き上げた時点で進路を決定できる仕組みがないのか、大学のシステムに不満しかなかった。その年のうちに就職先を決定し、春から故郷に戻って仕事を始める同期の女の子が眩しかった。

論文を提出した後、2012年1月からの40日間、インスターンシップを静岡県の研究所で行った。僕の大学では12月までに論文を提出して、インターンシップを行わないと単位が認定されないのだ。

その静岡県での生活が始まった頃、去年の夏に無料の iPhone アプリを作成していたので、有料アプリを作成しようと思い立った。そして、同時にブログにもより力を入れた。18時に仕事が終わり、飯を食って、寝るまで、プログラムとブログを書く日々が40日間続いた。

その時に作成した iPhone アプリ Quicka が、今や1万ダウンロードを突破して、普通の大学生では得ることのできない副収入を得た。ブログも始めた当時では考えられない PV を安定して得ている。

プログラミングを通して、僕にはものが作れるんだということを強く感じた。

2012年の4月からは、研究は似た分野だったが、担当教授を変えた。新しく学ぶその分野は確かに魅力的に思えた。しかし、それを解き明かして有名な論文誌である Nature に載せよう、という気力がまったくといっていいほど僕には湧いてこなかった。

研究室のコアタイムが終わるとすぐに研究室を飛び出し、家に帰り、僕はプログラムを書くか、ブログを書いていた。研究室の飲み会を逃げられないのを除いてすべて断った。その飲み会では愚痴しか交わさないであろうことが予想できたからだ。僕が語りたいのはもっと違うことだった。参加していたサークル活動を降りた。友だちともほとんど遊ばなかった。土日は、家から出ることがめっきり減った。

プログラミングでは、必要な機能を考え、それを実現するためのコードを書いて、それが期待通りに動作した時は、まるでリアルな RPG の主人公である僕の Level が上がっていくような感覚がして、とても面白かった。僕は一時、ネットゲームにはまり、重度のネトゲー中毒・レベルホリックだったのだけれど、その感覚が現実世界でも体感できるなんて不思議な気分だった。

プログラムを書いているうちに、そうかこれが僕の求めていたものなのかもしれないなと感じた。まだ全然、確信には遠いけれど。まだ全然、駆け出しだけれど。触れるたびに、もっと遠くまで手を届かせたいと願っている。もっと駆け続けたいと感じている。

最近、プログラムを書くという行為が、まるで小学校の時、文集に書いた発明家という夢になんだか漸近しているな、と思う。世の中に新しいものを提供するというこの感じが。でも、これがどう研究とは違うのかうまく説明できない。

あの頃、あの冬の日、ただ空欄を埋めるために書いた夢が、今思うとこれまでの自分を導いていたことを僕は知る。僕の人生の岐路に、その目印が常に立っていたのだ。

小学校の卒業アルバムに将来の夢は、発明家になることです、と書いた、その日から僕は前に進めているだろうかと、僕は問う。

今は夏、僕はあの冬の日を思い出す。