何が価値を決めるのだろうか?
今日は芸術について色々と考えたので、一度抽象的な思考から具体的なテキストに起こしておこう。
例えば、僕が芸術と聞いて一番最初に思い浮かぶのがモナリザである。美術の時間に習ったからそう認識している。だから、僕たちはこれを芸術品として疑わない。
しかし、これを極端な話、原始時代に持って行った途端に、芸術品ではなくなる。あるいは、100 年後の未来に持って行ってもそうなる可能性がある。何故なら、芸術品は、感動するだけでは芸術品足りえなくて、それに加えてある程度、大勢に価値があるものだと浸透させる必要があるからだ。
これと同じような見方ができるものが社会には多く存在する。例えば、オリンピックで競われているスポーツもそうだ。本来、人間がそこまでする必要がないものを極めるという、ある意味で変な行為を価値あるものにしているのは、スポーツ協会だったり、マスコミだと思う。メダルを獲ることは何よりも価値のあることだと周りを扇動する。そして、そこに価値が生まれる。
流行のファッションに価値が生まれるのも、誰かが価値のあるように見せたいからだ。たぶん、服装メーカが似たような服を作れるようになることで、生産コストを下げるのが目的だと僕は思っている。
以上をまとめると、価値があるという物事に対しては、一度、その価値は誰が決めているかを考えた方が良い、という教訓が生まれる。ただ、大勢にとって価値があってもなくても、感動するものは感動するということは忘れてはいけない。