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大人になるということは、心の穴を自分で埋められるようになることだ

誰の心の中にも穴が空いている。それは普段、意識することのない穴だが、ダム穴のように暗い吸引力を持っている。穴は何故空いているのか?それは、人の生まれの理由のなさに起因する。ぼくたちは、別に生まれてきたくなかったのに、気付いた時には、意識が与えられ、名前が与えられ、「生きろ」と命令される。生まれた時には、泣いて、生きていたくなんかないんだと抗うのが精一杯だ。だから、生まれた時に、心のどこかに違和感という小さな穴が空けられる。

小さい頃は、母性的な愛情がそれを巧妙に隠している。だが、成長し自意識が強くなると、その違和感を誰しも感じ取れるようになる。違和感を言葉で語れるようになるからだ。多くの人は、その違和感に気付かなかったふりをする。これは賢明な方法だ。だが、ぼくのように、その違和感から目が離せなくなる人もいるだろう(そういう人と気持ちを共有したくて、この文章を書いている)。

人はその違和感と呼べる穴をあらゆる方法で埋めようと努力する。多くの場合、勉強とかスポーツとか仕事とか恋愛とか趣味に打ち込むことで穴を塞げる。いちばん効果覿面なのは、人と人との繋がりの中における自分という存在を確立する方法だ。このように、人は物事や関係に心が囚われる状態を積極的に創造し、穴を塞ぐように尽力する。だから、人間が恐れるのは退屈な状態だ。退屈になるとどうしてもその穴を意識してしまう。

ぼくは、その穴の存在を忘れるように努力し続けてきたが、忘れることが出来なかった。勉強とかスポーツとか仕事とか恋愛とか趣味は、一時的に穴を埋めるのに役立ったが、気付くと穴は空いている。穴は、それ自身の理由のなさにより、勝手に空いている。「大人になるということは、その穴を自分で埋められるようになることだ」と定義した高校生時代のぼくは、あまりにも困難な定義をしてしまったものだ。

穴を塞ぐのはなかなかどうして難しいが、負けないために防御機構が発達してきた。自分の言葉で自分を騙すという技術だ。これが磨けていなかったとしたら、ぼくは生きるのに絶望している。自分の言葉で自分を定義し、設定し、与え、演じ、穴を塞ぐ。穴が空いたらそれの繰り返し。お手軽だ。いつかは、自分の穴にぴったりあった蓋を見つけられることを夢見ながら、ぼくは自分のために自分を騙し続ける。それが幻だと知っているのに。