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「とらわれたくない。とどまりたくない。ここじゃない。どこか遠くに行きたい」

「とらわれたくない。とどまりたくない。ここじゃない。どこか遠くに行きたい」。心が訴える声を言葉にすれば、そのように表現出来るだろうか。その訴えが、この数年の間、僕を動かし続けていたように思う。特に、夢とか目標のない僕の唯一の「よすが」として、それは僕を支え、動かし続けた。

その訴えを叶えるように、この数年はこれまで構築した自分を破壊し、行動に新しい軸を追加し、住む場所を3度変え、学生から社会人になった。

東京に来て一年半が経った。だが、都会での生活に慣れた頃から、心のその訴えが激しく自分の中で鳴り響いているのを感じる。「この、もはや慣れ親しんでしまった土地から離れたい。自分を知らない人しかいない場所に行きたい」。その声が無視できないほど膨らんだ時に、僕は旅行をし、知らない土地の情報を吸収し、身体の中の凝り固まった気候を入れ替える。そして多少は落ち着く。その行為を何度繰り返したことだろう。

どうすれば、この声から脱することが出来るだろうか。そんな悩みを抱えている時に読んだのが、人類史のなかの定住革命(講談社学術文庫)だ。

人類は過去、数百万年の間、住む場所を固定しない「遊動生活」を行っていた。遊動生活とは、ある一定数の集団を構成し、住む場所を頻繁に変え、狩猟や採集を行う生活のことである。

住む場所を固定しないことには、様々なメリットがある。ゴミ・排泄物・不和・不安・不快・病・寄生虫・病原菌・退屈などから逃れ、それらの蓄積を防ぐことが出来る。

ゴミ・排泄物は、その場に放置すれば良い。どうせ移動するのだから。不和・不安・不快は、場所を変える、また人間関係を変えるだけで解消できる。病・寄生虫・病原菌は、人間の存在によって繁殖した病原体から移動によって逃げることができる。一番注目したいのが、退屈から逃れられるということだ。どういうことだろうか?

海外旅行をする時に考えることを例に持ち出すと分かりやすい。どこで何が食べられるのか、どこに泊まればいいのか、危険な場所はどこか、その土地に馴染むにはどうすればいいのか。そのような情報を大脳が活発に処理する。だから、旅行中は退屈することが極端にないと言える。人類は、移動することを頻繁に繰り返し、退屈することがなかった(と想像する)。

だが、そのようにメリットの多い遊動生活を人類は一万年前に捨てて、「定住生活」を始める。その過程は書籍を参考して頂くとして、とにかく人類は、ゴミ・排泄物・不和・不安・不快・病・寄生虫・病原菌・退屈などから逃れられない生活を始めた。

「定住生活」を始めてからこの一万年の間に、多くの出来事が起こった。農耕・畜産、宗教の誕生、産業革命、人口の増大、戦争、情報革命。遊動していた数百万年の間には特筆すべき事項は多くないのに、何故このようなことがたった一万年の間に起こるのか? それは、人類が求める暇つぶしの矛先が変わっただけだろう。それは、遊動することによる「退屈」の解消効果が大きかったことの証明に他ならない。

「とらわれたくない。とどまりたくない。ここじゃない。どこか遠くに行きたい」。そのような心の声は、僕だけが悩んでいる問題だと思っていたが、上記のようなことが分かった今、人類全体の問題かもしれないと思い始めている。定住生活を始めたこれまでの一万年では、遊動生活をした数百万年の間に遺伝子に編み込まれた「逃げたい」というその声を無視することは出来ないのだろう。

だけれど、人類はもうどこにも逃げ出せない。定住生活で得た農業でしか70億もの人口を維持することは出来ない。また、僕たちは、社会に、決め事に、家族に、場所に、あらゆる関係に、縛られている。「不快なものには近寄らない。危険であれば逃げる」。人類以外の他の動物では、躊躇することなく行えるそのような基本的なことが、もはや人類からは欠けてしまっている。

定住することで失ったものに想いを馳せながら、逃げられない僕は東京に生きている。心が訴えるその声を代替品で宥めながら。

人類史のなかの定住革命 (講談社学術文庫)