捨てる理由、捨てた後に残るモノ
自分でも狂気じみている感を拭えないぐらいに、「捨てる」ことに躍起になった冬だった。着心地の悪い服、もう目を通さない書類、趣味の用品、思い出の品を写真を撮ってから捨てた。また、中学生時代から律儀に取っていたバックアップデータを削除し、もう連絡を取らない人たちを連絡帳から削除し、いくつかの LINE グループを削除した。東京に越してきた時より、何もなくなった。
それらの自分の行動を冷静に鑑みるに、「捨てる」ことに、いくつかの理由のようなものがあるようだった。1. 自分が死んだ後にモノがたくさん残るのは嫌。2. モノに獅噛み付かなければ自分を満たせないのが嫌。3. 自分が生きるのに最低限のモノはなんだろうかという好奇心。まあ、上記に挙げたのはただの後付けの理由である。最初は「なんか気持ち悪いから」というシンプルな理由だった。
天気の良い休日。ベッドと机と椅子しかないような持て余した八畳の部屋に、掃除機を掛けた後、絞った雑巾を掛ける。布団と枕はベランダに干してある。面倒くさかったけれど、今日は浴槽とトイレを掃除した。開け放ったベランダと玄関に涼しい風が通る。ドリップしたコーヒーを飲みながら、新書を捲る。多くのモノを捨てても、連絡を取れる人間が少なくても、幸せだなと思う。
さて、春だ。桜が散り、若葉が眩しい季節だ。捨てた空間に、新しい風を取り入れようと思う。