株式投資と Money Foward/あれも足りないこれも足りない/ヌマエビの綺麗な消化管
Bloodborne の発売を待ちわびている今日この頃である。「今日この頃」は便利な言葉であるが、重複表現に値するんじゃないかと疑問に思い続けている。
株式投資と Money Foward
今年の目標だった株式投資を初めた。職業柄、スマホ向けゲームアプリ業界に詳しいのだけれど、裏話を聞く機会も多いため、インサイダー取引に該当しないように、建設とバイオテクノロジーの会社に投資してみた。投資する基準は、利益を出し続けているか、主力事業とは異なる事業に投資しているか、社訓が魅力的かどうか、年単位で見た時に株価が上がっているか、というような当たり前のものを採用した。
そういえば、半年ぐらい前から Money Foward を使って資産を管理している。銀行に預けているお金はもちろん、株式については株価の変動も含めて資産を管理してくれるから、なかなか良い感じである。
あれも足りないこれも足りない
Twitter や Facebook を開くたびに、他人の価値に押し潰される気がしていて、去年よりも見る回数を控えめにしている(努力している)。フォローしている彼/彼女らのすごい報告ばかりが目に付くから、それを見るたびに、僕は「あれも足りないこれも足りない」と思うのだ。正直に言えば、落ち込むし、嫉妬のような感情を抱くこともある。
学生の頃は、比較する対象は同級生で良かった。幸運にも勉強すればそれなりに上位に食い込めたから、試験の結果は「俺スゲー感」のようなものを満たしてくれた。だが、それは井の中の蛙である。インターネットという大海に接続してよく目を凝らしてみれば、自分なんて掃いて捨てるほどの人間だった。そして「あれも足りないこれも足りない」と呟くのだ。それは成長を促してくれる起爆剤という側面も確かにあるが、閉ざしたドアをノックされ続けられるような不快さというか痛みがある。
他人と比べずに過去の自分と比較しなさいという甘美な言葉があるけれど、どうしても痛みが勝る。頭では分かっているのだけれど、心は痛む。なんとか折り合いを付けているものの、幸せな状態とはほど遠い。自分を量る対象が他人になってしまうと、その時々で価値観が揺れる。
こういうとき、僕は木を切り倒した時のことを思い出すのだ。木くずの付いたチェーンソーを構える僕と、圧倒的な質量を宿した木。そこには、そのふたつの登場人物しかいない。あるのはただ、僕と倒されるのを待っている木。あの境地は、幸せだった。熱中できるなにか。僕はそれを探し続けている。
ヌマエビの綺麗な消化管
ヌマエビを飼育していたことがある。淡水に生息していて、体が透明で消化管が丸見えのエビである。確か金魚と一緒に飼っていたのだが、いつ見ても彼らは複数の手足を使って水槽に付いた藻を忙しなく口に運んでいるのだった。藻は口から消化管に運ばれる。透明だった管に緑色の藻が映り、そのかたまりがどんどこお尻のほうに運ばれ、排泄される。それが実に小気味よく排泄されるのだ。わさわさと食べては、排泄される。それがリアルタイムに起こるのだ。もはやエンターテインメントである。眺めていたその日は、気付けば水槽の前に 2 時間ぐらい居座っていた。将来、やることがなくて暇になった時はまたヌマエビを飼いたいと思う次第だ。