何もしない休日の罪悪感
この頃、だるくて休日はごろごろしていることが多いのだけれど、気の向くままにごろごろしていると、なにかしなきゃという呪いが頭をもたげてくる。まぶたをすることすらだるい頭で考えてみるに、その呪いを丁寧に分離するとふたつのことが隠れている気がしている。そもそも人間が退屈という状態をうまく取り扱えないという先天的なものと、空いた時間は自分の成長に繋がるようなことをしなければという後天的なものだ。前者は、人間の脳味噌が発達しすぎた代償だ。人類の大躍進に貢献している脳味噌だが、僕を含めた多くの人間にとっては取り扱いに困る代物だ。人生は、脳味噌様に情報という甘美な愉悦を与え続けてる日々のようなものだ。後者は、僕が今までの人生で身に付けた価値観のひとつであり、僕の成長を促してきた側面もあるものの、こころの健康を損なうのにも一役買っちゃってる感じもする。なんだかこういう無駄なことを考えていると、猫になりたいと思ってしまうのであった。