AI に座標系を委ねても、残るもの
あらゆる知識がバイナリの海に溶け出し、座標系を構築したとしても、AI という延長された表現型が、個人の熱や決断を代行するまでには至っていない時代…
進化生物学者リチャード・ドーキンスは、遺伝子の影響が身体の範囲を超えて外部環境にまで及ぶという概念——延長された表現型——を提唱した。ビーバーが築くダムや、ハチが作る巣が、その代表例だ。人類に当てはめるならば、加熱調理を手に入れたことで食料を消化しやすくなり、大きな消化器官を搭載する必要がなくなった。調理という外部環境が、消化器官の延長された表現型として機能したわけだ。その文脈で言えば、AI はもはや人類の延長された表現型と見做すことができる。
では、その道具はどのように機能しているのか。『脳は世界をどう見ているのか』によれば、脳の新皮質は知識や経験を座標系として学習し、それをもとに世界を予測することで思考しているという。AI、正確には大規模言語モデル(LLM)の仕組みはこれと酷似している。LLM は大量の単語や単語間の関係を学習し、それをもとに次の単語を予測する。かつてのエンジニアは、自前の脳内に構築した座標系をもとに実装という名の計算を行ってきた。しかし現在は、このプロセスの大部分を AI という外部の座標系に委ねることができる。複雑なコードの生成や論理の構築は、AI がその広大な座標系の中から、最適な解を即座に芋づる式に引き出してくれるからだ。
このような時代において、学習のボトルネックは、どう書くかという習得コストから、何が存在するかという知識の広がりへと移り変わっている。具体的なデザインパターンを記憶していなくても、その名前と何が解決できるのかを知っていれば、AI を介して即座に実装することが可能だ。かつては時間をかけて習得した技術が、今では適切な言葉を知っているだけで再現できてしまう。ひとりのエンジニアとして哀愁を感じるが、これからの時代は知識の広がりを増やすことに軸足をおいた学習をしていく必要がある。
自分は読書を通して異なる物事をつなげて楽しむのが好きで、この文章中でも、攻殻機動隊のパロディに AI 時代を重ねたり、ドーキンスの延長された表現型と AI を接続したりと、それらしく試みた。これは自分の脳が構築した座標系同士が近いところにあるからこそ浮かぶ発想であり、今のところ AI に代替されにくい人間の知性のひとつだと思っている(もっとも、AI が似たようなことをすでに高度にやっているのは悔しいが、それは置いておく)。
ただ、どれほど AI の性能が向上しても、AI 自身が何かを作りたいという内発的な動機を持つことはない。AI にはやる気もモチベーションも存在せず、入力に対して確率的にもっともらしいテキストを出力するだけだ。AI 時代のエンジニアにとって、技術を知っていることに加え、その技術で何かを成したいという熱を持っていることが、出発点になる。
そして、実装のコストがゼロに近づくとき、最後に残る人間の価値は決断に集約される。シニアなエンジニアが信頼されるのは、AI のように知識量が多いからではない。不確実な状況で選択をし、失敗のリスクを含めて結果への責任を引き受けてきた実績から生まれる信頼があるからだ。AI を利用して、覚悟を持って多く決断の打席に立ち続けること。その積み重ねこそが、AI 時代を生き抜くエンジニアの武器になると、今の自分は思っている。