ゾーンの残像
大学生時分、下宿先の近くのキャベツ畑の脇をランニングしていて、ふとこのままどこまでも走り続けられると思った瞬間があった。身体の重さが消失し、足が地面を叩くリズムだけが残るような感覚だった。プログラミングにも似たものがあって、コードを書いて問題の深みに潜っていくと、気づいたときには日が暮れていた。時間の感覚が溶ける。あれをゾーンと呼ぶのだろうと思っている。これを仕事にしたい、というのはエンジニアを目指した理由のひとつである。
エンジニアとして働いてきた自分に、徐々にマネジメント色が混ぜられ、気付けば EM になり、今年からは過分な役職だと思うが VPoE になっていた。環境に合わせて自分を変質させてきた感じだが、ただ適性はあったのだと思う(同僚に言わせればフラットなのが自分の持ち味らしい)。ゾーンから遠のきながら、別の課題を捌くようになっていた。
マネジメント職であってもたいていエンジニアを兼業することが多い。自分もそうで、1on1 や会議の合間に 30 分や 1 時間を見つけて、そこでどれだけ集中してコードを書けるか、を繰り返す。ランニングが短距離走になった。かつて日が暮れるまで潜っていたものが、次の会議まで走破するものになった。
生成 AI の性能が向上した 2025 年以降、その短距離走もまた姿を変える。会議の前に Devin や Claude Code にプロンプトを投げておいて、会議中に横目で出力を調整し、会議が終わったあとに評価する。常に何かをしている感覚がある。が、どこにも潜っていない。落ち着かない。駆り立てられているような感じが続いている。自分自身がボトルネックになっている感じ、とも言える。AI はすぐ動ける。自分が追いつけない。
だが、できることは増えた。以前なら面倒で諦めていたライブラリを書けた。長年放置していたバグをいくつか解決できた。深く潜らなければ見えなかった設計方針が AI との会話の往復で浮上する。AI が走る横で、自分はペースメーカーをしている。
なぜ AI に指示できるのか、と考えると、かつてゾーンで積んだ経験に行き着く。何を問えばいいかわからなければ、能力を延長できない。ゾーンはもうないが、その残像がいまだ動き続けている。