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新皮質と LLM の関連性
リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』にある「人間は遺伝子の乗り物である」という考え方により、鬱になったり自殺が相次いだという話をなにかの本の冒頭で読んだ。確かに衝撃的な考え方だけれど、当時の自分はふーんと思うぐらいだった。が、最近はどこか身に染みる思いである。 -
生まれの納得感のなさを飼い慣らす
重たいものを床に落としたような音で目が覚めた。寝ぼけ眼のまま周囲を見渡したが周囲に異常がなかったため、そのまま二度寝に移行する。そして、いつもの時間に目覚めて朝日を取り込むために窓を開けると、そこには足と羽を折った小鳥が横たわっていた。 -
2008 → 2011
かつての私は頻繁に日記を書いていた。以下の 8 万字弱ほどの文章は、高専 4, 5 年生、大学 3 年の時期に忍者ホームページで運営していた個人サイトの日記である。ここにある日記は 2008/01/01 から始まり 2011/03/06 で終わる。掲載順は地層のように上から新しい順で並ぶように書かれている。 -
内向的な私の SINK ⇄ FLOAT
亀のように内向的な私であるが、たまには息を吸うために浮上して外交的に振る舞うことがある(ある亀は肛門呼吸を行え、浮上する必要さえないそうだが、それは置いておく)。 -
祈りの役に立たなさ
帰省するたびに祖母はあなたのためを思って祈っているのだからと言う。孫に渡すお年玉よりも桁の異なるお金を教会にお布施している熱心な祖母が言うのだから間違いないのだろう。 -
読書の副作用
大きなガラス窓の外から、軟球テニスのぱこんと打ち返す音が響く。図書館の横にはテニスコートがあり、放課後になると部活動に励む生徒が練習を始める。時折途切れるラリーの音を BGM に、文庫本を読み漁るのが高専時代の習慣だった。デスクライトの光量が弱く、日が暮れるのが早い冬には難儀したことを覚えている。 -
どうにかして脳の神経伝達物質を御したい
鬱病は脳の神経伝達物質の不足が原因であり、精神的な弱さなどではなく、外傷のように物質的な不具合だとする見方が一般的である。裏返せば、投薬によりその伝達物質を調整すれば、脳の機能をある程度制御することができると言える。 -
悲鳴の連鎖の上に立っている
朝起きるたびに、布団の中と、見たことがない世界を冒険できる夢の中が快適だったことを思い出し、現実のぼんやりとした不安に打ちひしがれる。 -
夢の中の大冒険 2019
夢の中では誰だって冒険小説家だ。ハリウッド映画のチープな冒険活劇のように、ストーリー展開に脈絡がなくても、野次を飛ばす観客がいないから、謎を燃料に目覚めるまで描かれる一晩の物語。この一年、起床した後も覚えている物語を Scrapbox に記録していたのでここにまとめる。 -
三大欲求に並ぶ快楽はサウナだ。湯らっくすのアウフグース体験記
湯らっくすのサウナ、ひな壇の右奥。それは一言で言うと地獄(褒め言葉)である。アウフグースで水を掛けるサウナストーンから見て、一番近く、一番高い位置にあり、その上、熱波が加わるとあれば。 -
「タコの心身問題」を読んだ
人間と頭足類(タコやイカ)は、ウジ虫のような単純な神経系を持った生物を共通の出発点としているが、進化の過程でそれぞれ違う経路で心(複雑な神経ネットワーク)を獲得した。 -
小倉のストリップ劇場に行った
新幹線の駅がある小倉の街には、九州唯一のストリップ劇場がある。改正風俗営業法により新しいストリップ劇場を建てることが難しいため、基本的には衰退していく文化のようだ。 -
神聖さを失い続けている
高専生のとき、今抱えている人生のもやもやは「生物学」を勉強すれば見方が変わり、何かしらの回答を見つけることができるのではないかと思ったことがある。図書館に置かれていた哲学書のように、人生においてちっとも重要ではないことを他人の言葉を引用して否定しあうようなことではなく、あるいは宗教のように、その時代のおっさんが考えたルールに盲目的に従うのでもなく、自分の起源や構造を科学を通して理解すれば、もっと本能にダイレクトに響く何かが得られるのだと。 -
Summer Pockets の感想にかえて。あの夏にポケットへ詰め込んだ記憶が眩しくて
中学生の国語の授業だったと思う。「なぜ勉強するのか」という問いを投げられ、たまたま先生と視線があってしまったぼくは「夏休みが来るから」と咄嗟に答えた。他の人は無難な―その証拠にまったく思い出せない―回答をしていたと思う。まわりとの回答の差に恥ずかしさを覚えてしまったせいで、この歳まで覚えている。 -
「奴隷のしつけ方」を読んだ
日本では奴隷と聞くと遠い存在に思えるけれど、古代ローマでは奴隷制が当たり前のように存在していて、またポルトガル・スペインの大航海時代には、日本人も奴隷として輸出されていたこともある。 -
パンダ日記
人生で何度かパンダがいる動物園に行ったことはあるけれど、人だかりがあって、まじまじと見る機会がなかった。だいたい遠目にある白黒のそれが、もぞもぞと動いて、来場者が慌ただしくスマホを構えるのがパンダに対する印象だった。けれど、今年の GW にシンガポールで図らずもゆっくりとパンダを観察する機会があった。 -
素人投資家の投資戦略ガイド 〜投資の基本の株式と債券〜
最近、個人型確定拠出年金 iDeCo(イデコ)や NISA(ニーサ)が国主導で整備されています。これらは、投資で儲かった利益に対する税金を免除したり、投資した分、住民税が安くなるメリットがあります。 -
Re: Produce
Reproduce という単語を見るたびに、夏の夕暮れの物悲しさを思い出す。Reproduce には「(子供)を生む」という意味もあるけれど、「繰り返す」という意味もあって、なにか正直に喜べないたぐいの感情が紛れこんでいる。 -
筋肉と日焼けで冬季うつ病を打倒できない
暦上では春である。冬のあいだは、気分があまり優れないから、好きではない。こういうとき、神様が「うーん、めんどいから気象条件同じでいいや」と手抜きしたような、フィリピンの温暖な気候が羨ましい。向こうでは同じ 12 月でも、気持ちが落ち込むことはなかったから、感情は存分に気象の影響を受けるものなのだろう(参考:4 ヶ月間フィリピンに言語留学をしてきた)。 -
自動で国際分散投資できるロボアドバイザー WealthNavi(ウェルスナビ), THEO(テオ)に 30 万円 + 2 万円積立投資してみた
2016 年 10 月辺りから、SBI 証券で投資信託を本格的に購入し始めました。年 120 万円の NISA 枠を使いつつ、手数料の安いインデックス型を中心に国内外に分散投資しています。 -
捕食者なき世界
ある波打ち際のゴツゴツした岩場に種類豊富な貝類が生息している。その貝類の天敵はヒトデで、その食欲旺盛な生物が岩場を這った後には、中身のない貝殻が転がる。その貝類の中にはとても珍しくて、ここでしか見られない種が存在したとしよう。あなたはその貝を守るために、岩場に胃袋を満たしにくるヒトデを拾って遠投して、その貝を守る仕事を始める。そして、1 ヶ月後、あなたが守ろうとしたその貝は、文字通りヒトデの長い腕から逃れられたにも関わらず、その岩場から姿を消しているどころか、岩場には 1 種類の貝しか存在しなくなっている。 -
度々、旅を旅する
旅行に行くといつも別のことを考えている。北アルプスを歩いているはずなのに「ここの植生は北海道のあそこに似ててあの落葉樹をシラカバにすればそのまんまだな」と回路が繋がれば、北海道を旅した 4 年前の旅程を想起している。そうそう、あの時は雪が音もなく降る林道を行って…というように、初めて見る風景に、過去の風景をだぶらせて、その土地と、別の土地のふたつを旅している。思考の深度が増せば、その時に考えていたことさえ思い出せる。自分にとって、旅先で写真を撮る行為よりも優先したいのは、目の前に広がっている風景を過去の記憶で補強して、将来あるきっかけで容易に思い出せるようにすることだ。もちろん、写真を撮ればそれを元に思い出せるし、細部の再現度なんて目ではないし、他人に共有する時に便利なんだけれど、自分の肌には合わなかった(自分が写真を撮る動機は、家族にここ行ったよという分かりやすいアピールのためだったり、ブログでなるべくフリー素材を使いたくないというのが挙げられる)。一眼レフカメラを持っていたけれど、どうも風景を構図的に捉えてしまい、写真では抜け落ちる類のもの(五感マイナス視覚)を味わう余裕がなくなっていた。それが忙しないなと感じてしまった。今見ている風景に過去の風景を照らし合わせながら記憶の引き出しを増やしていくと、簡単に暇潰しができてとても良い。だいたい人と話している時に意識が飛びがちなのは、手元の景色から過去の風景やその時の行動にフォーカスするのが楽しくて、戻ってこれないことが原因なのかもしれない。 -
この 6 年間、個人アプリ開発者が App Store に対して感じたこと
開発者は自分のアプリに付くレビューに返信することはできない。そのためユーザーが間違った使い方をしてレビューに書いても、開発者は手を差し伸べることはできない。またその情報が他のユーザーに広がることを考えるとはらはらする。その状況は、教室で女の子たちが自分に対する評価を話していて、透明人間の自分はそれを聞き続けている状態に近い。こちらに否がある内容にも「ごめんなさい間違えました」と一言さえ言えないのは心苦しいものがある。 -
2017 年第 4 週
2017-01-23 時々、雪 / 二月中旬から働く予定。福岡市内にオフィスがある。今は実家のある北九州市に帰省というか寄生しているから、住む場所を確保せねばならない。福岡市内の不動産屋をいくつか周り、予約を取り付けたから、水曜日にまた出向く。その後、部屋を決めたら、東京にある荷物を送るために、一度東京に行く必要がある。東京での日々はそれなりに楽しかったが、何かをすり減らしながら生きているような気がした。住む場所と付き合う人たちをガラリと入れ替えたかった。 -
現実という仮想空間に生きる
長時間遊んだゲームでも「なんかいいや」とデータを消してしまうことがある。いままでこの現象を言葉にするときに飽きたという語彙しか持たなかったのだけれど、認知が剥がれたと言い表せるのかもしれないとサピエンス全史の前半を読んで思った。仮想空間上にあるゲームに違和感を感じ、信じられなくなる。信じられなくなった途端に、気持ちが萎える。この感覚は、僕にとって普通に生きていても頻繁に遭遇する。 -
4 ヶ月間フィリピンに言語留学をしてきた
アプリやウェブ開発をしていると英語のドキュメントを読む必要があったり、ブログや個人プロジェクトに英語で質問が来る機会があったりして、そろそろ英語を勉強しないとな、と思っていた。中学ではまじめに勉強していた記憶があるけれど、高校では授業中に文庫本を読んでばかりいたから、そこから英語を勉強した記憶はない(ちなみに、大学生だった 5 年前に受けた TOEIC は 460 点だった)。だから、英語は雰囲気で読むしかなくて、英文を読む度に、全体の 80% の意味をどぶに捨てている感じがした。 -
新しさを求める
個人的に INFOBAR 2 は最先端の新しさだったのだけれど、アプリ開発に興味があって iPhone 4 にデバイスを買い替えた時は、これこそが次の新しさだと思った。デバイスの質感はもとより、当時のスキューモーフィズムは魅力的に感じたし、自分でもリアルな質感を表現しようとデザインした。iOS 7 以降はフラットデザインが採用されたが、これまでの新しさをシンプルな表現に落とし込もうとする努力を感じると同時になんか違うなと思った。そこでは、すりガラス効果を使うとそれっぽくなる世界なのだけれど、実装方法が公式に用意されていなかったし、エッジスワイプの時に汚くなるし、背景にある画像が透ける(=レイヤーを意識させる)のが日常作業にはなんだか鬱陶しい印象しか与えなかった。だから、macOS ではその効果を切っている。 -
フィリピン留学 13/16 週目
後 3 週間。ひとつめのクレジットカードの海外旅行保険 3 ヶ月分が切れたから、もうひとつのクレジットカードで帰りの便の受託手荷物を支払って延長した。こちらでは、11 月に入ってからクリスマスの準備が行われていて、既に Artificial Christmas Tree と装飾とライトアップが設置されている。日本ではもういくつ寝るとお正月という歌詞があるけれど、こちらのテレビでは 100 日前からクリスマスを数えている。こちらは一年中常夏だからクリスマスでもそうなのだけれど、暖かいクリスマスというのはいまいち想像できない。いちごがないショートケーキみたいに違和感がある。自分の偏見によると、クリスマスの構成要素は、寒さ 50%, 赤緑 25%, ケーキ 25% だから、大部分の 50% が欠けたクリスマスとなり、それはもはやもうクリスマスとは呼べないのではないかというゲシュタルト崩壊を感じさせる。ちなみに、クリスマス前に日本に帰国するからこちらのそれを体験することはできない。また、冬服を所持していないため、空港にあるユニクロで上着を買わなければ耐えられないのではという懸念がある。クリスマスと関係ないけれど、無人島に生きる十六人を読んだ。アオウミガメを食べてみたい。 -
The device of oblivion and reminiscence
夢を見る。猫が愛情を込めて爪を立てるような、そんな夢を見る。夢から醒めて現実を認識した時には、風景以外はうまく思い出せない。僕の夢にはいつだって会話というものがなくて、想像の世界をただ一人で旅をしている。狩猟民族だった頃の遺伝子が主張しているのかもしれない。欠伸のせいなのか、心が震えたせいなのか、わからないけれど、涙が伝って枕に染みをつくる。きっとその涙が乾く頃にはもう、その記憶は思いだせなくなるだろう。もしかしたら来るその忘却をあらかじめ悲しんでいるのかもしれない。僕は夢の中でたくさんの旅を重ねる。現実という息苦しい舞台を一日に数時間だけ降りて、もうひとつの心地が良いだけの世界に旅立つのだ。巨大な雲に飲み込まれて崩壊を重ねる都市を歩く。巨大な工場跡地が見える高台からカモメの子育てを眺める。巨木の根がうねり絡みついた崖から大鷲が見下ろすように道を塞いでいる。風化してしまった岩の兵隊が波間に倒れている。いくつもの微粒子を乗り越えて丸みを帯びた光が産毛の存在を認識させる。ほんとうに時々、昔見た夢の内容をもう一度体験することがある。それは神様のくれた慈悲のようなものだと僕は思う。人生に対するささやかな埋め合わせとしての、忘却と追憶のデバイスが夢の機能だ。 -
フィリピン留学 11/16 週目
気付けば残り 5 週になった。最近は、定期的に罹る精神不調に悩まされている。日本にいる間は季節性だと思い込んでいたが、こちらに来てから気候変動を意識したことがないから違うみたいだ。寝付きが悪化し、脳味噌に何かが詰まったような感じがする。この期間は自己肯定感が脆弱になるという傾向が散見される。今までの人生で何度か抜け出したはずなのだが、その度に手を変え品を変え、見えない自分と戦っている。地を這う蝉を連想する。 -
フィリピン留学 8/16 週目
夜寝ている間に、台風が通過した。昨夜は、窓を打ち付ける激しい雨を子守唄代わりに、よく眠れた気がする。日頃から頻繁に停電するフィリピンの田舎事情だが、眠気眼に枕元に置いていた iPhone のあの充電開始音が何度も聞こえたことから察するに、昨夜はより頻繁だったようだ。ここでは、据え置き型ゲーム機・PC はデータが飛ぶのが怖くて使えないなと思う。 -
フィリピン留学 6/16 週目
大学生の夏休みシーズンを終え、学校の人口密度がかなり減った。今週から、DUO 3.0 のセンテンスを暗記するフェーズに入った。リスニング力は語彙力だと感じたからだ。留学前に、毎日の英単語 日常頻出語の 90%をマスターするは覚えたが、まだまだ表現力が不足しているし、聞き取れる単語の量も多くはない。DUO では、口慣らししながら Scan Over し終え、次は Read Over するフェーズである。他の瞬間英作文系と重なる部分もあるし、前の会話できる英文法大特訓では、720 sentences の暗唱だったから、DUO の 560 sentences は多少気楽に感じるものの、慣れない熟語や単語が多いため、結構時間が掛かる。 -
フィリピン留学 4/16 週目
フィリピンに来てから一ヶ月が経過した。定期テストが行われ、High Beginner Level(38/100)から Intermediate Level(52/100)に上がった。リスニングがあまり伸びていなかったから、次の一ヶ月はリスニングを鍛えることに決めた。丁度、一ヶ月前から始めた会話できる英文法大特訓が大詰めを迎えていて、教材を変える良い時期でもあるし。授業の予習復習の合間に進めていたとは言え、この本はなかなかボリュームのある内容だった(僕の記憶力が悪いとも言える)。意訳が多いこと以外の内容はとても良く、暗記した内容はマンツーマン授業でも使えた。 -
フィリピン留学 3/16 週目
一週間前にフィリピン政府から次の月曜日は祝日です、と発表された。日本では珍しいが、こちらでは普通に起こることみたいだ(現政府では初)。今日は、発音の話をしようと思う。 -
フィリピン留学 2/16 週目
授業が終わったら復習、予習、授業中に気付いた自分の弱い部分を文法書で調べて、頻出の英会話フレーズを暗記し、明日授業で使いたいフレーズを調べる日々を送っている。特に、他に話すことはないのだが、そういえば、フィリピンに来てからハエの観察が趣味である。フィリピンにはハエがよく飛んでいて、彼らと共存の道を探るのがこちらの生活に慣れる第一歩と言える。ハエはあまり印象の良くない虫なのだけれど、その実、とても綺麗好きである。体を綺麗に保つその動作は、ネクストバッターサークルで出番を待つイチローのストレッチのように洗練されている。まずは、六脚ある内の前脚をこすり擦りつけるようにして汚れを落とし、その綺麗になった脚を使って、臍を見るように曲げた首(ハエに臍はないと思うが。どうなのだろう?)から口器にかけて撫で付ける。実家の猫もよくその動作をしていて、本当にそっくりだ。次は同じように綺麗にした後ろ脚を使って、翅の手入れを始める。後ろ脚の可動範囲は広く、透明な翅の表面の付け根まで脚が届く。上から下に撫で、次は同じ動作を裏面にも行う。両方の翅を綺麗にしたら、翅を震わせて、あるいは短い距離を飛んでみてその具合を確かめる。プール上がりに片足立ちでとんとんと、耳の中に入った水を落とす具合に。そのように、ハエを長いこと観察しているものの、中央の脚同士を擦り付ける仕草はまだ確認できていない。人間の薬指のように器用に動かせないのかもしれないし、あるいは手入れに具合のよい場所に止まった時にだけ行うのかもしれない。夏休みの自由研究は終わらない。 -
フィリピン留学 1/16 週目
フィリピンに着いてから授業漬けの一週間を乗り越えて、久しぶりに MacBook を開いている。ディスプレイに実家の猫の毛が付着していて、実家が懐かしくなり、小生、ホームシックになる(小生物語を参考のこと)。こちらにも校内を徘徊している野良猫がいるが、まだこちらでの免疫系が十分ではないと感じていて、触るのを控えている。日本由来とフィリピン由来の混合細菌叢を育成中である。 -
フィリピンに英語留学に行くことにした
7 月 31 日付で 4 年間勤めた会社を辞めた。4 年という数字は、会社がベンチャー企業から上場企業になる年数だった。就職するために東京に住み始めた。iOS, Android, HTML, CSS, JavaScript, PHP, WordPress, Ruby on Rails に親しんだ。4 年間、給料の三分の一をしっかり貯金し、休日は商店街を散歩したり文庫本を読んだり、疲れた体を銭湯で癒やし、自分の芽をどこに伸ばしたらいいのか悩み続ける日々だった。 -
Re: ゼロから始める英語再学習
例によって、英語は試験や受験のために勉強していたのだけれど、大学の研究室時代に英論文を読んだり、英語で実験の進捗具合を発表する時に、「ああ全然使えないな」と絶望した記憶がある。それ以来、英語を避けて生きていこうと思ったのだけれど、プログラマになってから英語を読む機会が増えてしまった。 -
On the Road
ゴールデン・ウィーク前日の夜に、このあたりで決めるべきだなと思った。そのテーマは脳内でブレーンストーミングを重ね、これ以上は判断材料を増やすことが出来なくなっており、後はこの絡まった糸をほぐして自分が望む形を見つけるだけだと。そういう時は日常(東京)から距離をとって考えるべきだから、翌日の昼に出る函館往きの航空券をとった。 -
Docker でよく使用するコマンド一覧
数カ月後にはしっかり忘れていると思うのでメモしておきます。 -
社会に価値を提供すること
大学三年(三年次編入一年)の冬にレンタル DVD 店でアルバイトを始めた。新幹線が停まるとはいえ陸の孤島と揶揄されている土地の、今にも潰れそうな店だった。頻繁に貸し出しされる AV 女優の名前と棚の位置を覚え、自動化したくなる単調なエクセル作業をこなし、知らない製品のポップをそれらしく書くことにより、僕はそこで初めて給料をもらった。社会に自分という価値を提供し、お金を稼ぐことは、なんだか誇らしいものだった。 -
アホロトール
商店街の熱帯魚専門店がふと気付いたら潰れていたように、いつの頃からか脳味噌がポンコツになっており、そのせいか精神状態がよろしくないように感じる。「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉がある。その逆も然りだろう。性格や考えかたの癖はそうそう簡単に変えられるものではないから、適度な運動と銭湯に通って、体を整備しているがどうもその逆は然りと言えないようだ。熱帯魚専門店で飼われていたウーパールーパーのようにやる気がなく鬱々とした状態が続いている。だが、やる気がないなりに、意識して今の環境で出来ることをやっている(やる気がなくても仕事はできる)。年歯が進むと体の不具合と付き合っていく諦観を獲得しなければいけないように、このポンコツさという不自由を寛容していく必要があるだろう。だけれど、脳味噌で考えることだけはいつまでも自由でありたい。その自由さは人間の尊厳だと思うからだ。 -
銭湯と海底と宇宙
半年前から銭湯通いを始めた。最寄り駅の近くに銭湯があって、仕事帰りや休日に気分転換として行っている。自宅にも風呂はあるけれど、非日常を手軽な料金で味わえるのが銭湯の良さである。今までは、同じ値段でできる暇潰しだと、漫画喫茶とか中古本屋に行っていたのだけれど、銭湯の存在感が幅を利かせている。言い換えると、コンテンツを消費することによって得られる快楽と、かたや身体を温めることによって得られる快楽だと、後者が勝ってきている。三大欲求と等しいぐらいまである。お湯に浸かりながら考えたのだが、体温に近い水に浸かるというのは、母親の胎内で一番最初に体験したことだから、そのように設定されているのだろうと思った。だから、哺乳類の多くは多分お湯に浸かっても平気だろうし、哺乳類以外だと深海の海底火山に住んでいるチューブワームぐらいなものである(適当)。だいたいお湯に浸かっている時は、のぼせないように気を使うか、考えるかぐらいしかやることがないのだ。眼鏡を外しているから視界はぼやぼやしているし。そういえば、話が海底から宇宙に飛ぶのだけれど、一光年というのは光が一年の間に進む距離だ。例えば、ある星が地球から一光年離れているとすると、僕たちが見ているのはその星の一年前の姿だということになり、この瞬間に星がふたつに割れたとしても一年後にしかそれを知ることができないのだ。この考え方を逆にしてみると、僕の一年前の姿をその星からは観測できるということになり、二十六光年の距離にある星だと僕は生まれたばかりだということになる。生物は後世に遺伝子を伝えるが、そもそも全ての物体から生じた光子はそのエネルギーがなくなるまでその情報を宇宙空間にも伝える。不思議である。そこまで考えたところでのぼせそうになったから、次は水風呂に切り替える。温かい湯船と冷たい水風呂を交互に繰り返すと、銭湯から出たあとでも手足の末端がじーんと暖かくて、半日ぐらい幸せな気分でいられる。そんなある冬の日曜日だった。 -
I識→♥
眠りから覚めたときに、喉が乾いているだとか、布団に閉じ込めた体温が心地よいだとか、そのようなことを思い浮かぶのと同じ瞬間に、この体を動かしている僕という意識は八時間前のものから続いているのだろうかという疑問が解凍される。僕という意識は、目が覚めるちょっと前に生まれて、都合のよい記憶を植え付けられて、この神経の張り巡らされた肉体という機械にインストールされただけなのではないか。そのような妄想を高校生の頃から繰り返している。 -
GOOD BYE 2015
GitHub で本格的に活動し始めた。とある Android アプリが 70 Star を超えて嬉しかった。2015 年の Contributions は、仕事のプライベートリポジトリを含めると約 3,400 だった。頑張った。Softbank から DMM Mobile に乗り換えた。Nexus 5X をメイン端末、iPhone 6 をサブ端末の 2 台持ちで月額 3,000 円。ZBrush でデジタルスカルプティングを始めた。しばらくは毎日遊んでいたが、仕事が忙しくなり中断してしまった。MacBook Pro (Retina, 15-inch, Mid 2015, US) を買った。なにげに人生で一番高い買い物だった。お金を払うときに、貯金の何 % に当たるかを計算する癖がついた。Vainglory に多くの時間を割いた。仕事では、12 月は WordPress のテーマとプラグインを書いた。312 月は Android アプリを書いた。会社に色々と振り回されて疲れた。Reactive Programming と Android のライフサイクルとライブラリに詳しくなった。Material Design 信者になる。一番面白かった本は、「捕食者なき世界」だった。頂点捕食者がその環境の生物多様性を維持していることを様々な事例を挙げて説明している。ピラミッドを支える植物が多くをコントロールしているものだと思い込んでいたから、目から鱗の一冊だった。株式投資(国内)を始めた。最終的に含み損益は、+5% だった。後、配当金を頂いた。海外旅行に行こうと思って 10 年パスポートを取得したが、結局行かずじまいだった。楽天ポイントを使って草津温泉に行ったぐらいだった。 -
何もしない休日の罪悪感
この頃、だるくて休日はごろごろしていることが多いのだけれど、気の向くままにごろごろしていると、なにかしなきゃという呪いが頭をもたげてくる。まぶたをすることすらだるい頭で考えてみるに、その呪いを丁寧に分離するとふたつのことが隠れている気がしている。そもそも人間が退屈という状態をうまく取り扱えないという先天的なものと、空いた時間は自分の成長に繋がるようなことをしなければという後天的なものだ。前者は、人間の脳味噌が発達しすぎた代償だ。人類の大躍進に貢献している脳味噌だが、僕を含めた多くの人間にとっては取り扱いに困る代物だ。人生は、脳味噌様に情報という甘美な愉悦を与え続けてる日々のようなものだ。後者は、僕が今までの人生で身に付けた価値観のひとつであり、僕の成長を促してきた側面もあるものの、こころの健康を損なうのにも一役買っちゃってる感じもする。なんだかこういう無駄なことを考えていると、猫になりたいと思ってしまうのであった。 -
アクア・フィルタ
雨音のノイズで目が覚めた。枕元の携帯電話は、午前二時を映しだしている。液晶の光が部屋の輪郭をぼんやり怪しく照らしだした。なんでこんな時間に起きたんだろう、と不思議に思う。携帯電話は節電モードになり、そして沈黙した。部屋の明るさがそれにつれて遷移していく様をただ眺めていた。終いには暗闇をただ見つめる。雨は、窓ガラスにフィルタリングされ静かに降り続けている。砂漠で降る雨はどんな音をしているんだろう、と疑問に思う。ふと夢の断片が映像として再生される。高層ビルが乱立する市街地に、巨大なマシュマロみたいな雲が無数に地上近くを浮遊しているのをただ眺めるだけの。夢を振り払い、昏い部屋をなめくじのように這いずり、部屋の隅にあるペットボトルの水を飲み干し、再び敷き布団に舞い戻る。眠るのは凄く気持ちいい。生きているご褒美だとすら思う。無意識である眠りが気持ちいいのは、死に近付くからなのだろうか。それとも脳を生かすために、気持ちいいと感じなければならないからだろうか。そんなどうでもいいようなことを頭の片隅で考えながら、雨音の中、僕は再び眠りに就く。 -
デジタル・スカルプティングソフト「ZBrush」
アプリ開発が趣味だったはずだが、それが仕事になったのも影響するのか、かつてそこにあった魅力は少し色褪せてしまった。アプリやサイトを作る技術を勉強し続けてはいるものの、この業界から遅れないように知識を身に付けなければという焦りが、ただそうさせているような気がする。だから、趣味と言うのは、なんだかちょっと違うような気がしている。 -
Thinking Sequence
ここ最近の休日は、昼寝や夕寝をしたり、部屋を掃除しているか、ぼんやりと考えていることを繰り返している。以前までは「捨てるものを考える」のも含まれていたが、捨てるものがほとんどないから、考える必要がなくなった。散歩とか、旅行をするのも好きだったが、何となくだるくてこの半年ぐらいは諦めている。勉強しなきゃなと思っているが、あまり成長していない感じだ。近所の庭に植えられたつる野菜の成長を観察していると、ほとんど止まっているようなものだ。 -
GitHub で持ちものを管理しはじめたことと、それに付随する雑談
一人暮らしを始めてから 5 年ぐらいになる。その生活の中で増えた不必要なもの、自分には合わなかったものの大半を捨てた。良い機会だからと、GitHub に持ち物を書き出してみた。これに加えてダンボール 4 箱分(服と靴と食器)が全荷物である。引っ越しの準備は 1 時間で終わる。 -
日記を書いているということ
BOOK OFF で森鴎外の日記を見かけたのでぱらぱらと捲ってみた。森鴎外と言えば、僕の地元である北九州市小倉に居を構えていた人物である。確かその邸宅を覗いた覚えがあるのだが、小学生の頃に訪れた山口県萩市、半年前に訪れた新潟県の笹川邸とダブり、最早、明瞭に思い出せない。 -
定期的に献血に行っている
東京に来てから献血に行く機会が増えた。体重の約 13 分の 1 の量がある血液から、毎回 400ml 提供している。献血に行くと血圧が分かるし、後日、血液成分分析結果が送られてくるから、気軽に自分の健康状態を客観的に知ることが出来る。定期的にある程度の血液を失うことは、体にとって良いストレスになると思うし、失った血液を補うために新しい血液が生産されるから、代謝が良くなる気がする。眉唾ものだが、献血に通い始めた頃から、重度の風邪を引かなくなった。 -
Junk code in March 2015
今年は、GitHub の Contributions Calendar に、緑色のタイルをたくさん並べるのが目標です。3 月は、今まで触れたことのない分野を勉強できたから、この記事ではメモがてら作ったものを紹介していきます。 -
株式投資と Money Foward/あれも足りないこれも足りない/ヌマエビの綺麗な消化管
Bloodborne の発売を待ちわびている今日この頃である。「今日この頃」は便利な言葉であるが、重複表現に値するんじゃないかと疑問に思い続けている。 -
「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」に行ってきた
六本木の東京ミッドタウンにある 21_21 DESIGN SIGHT というスペースで「単位展」という催しがあり、足を運ぶことにした。僕の中の「単位」におけるイメージは、キロ原器だ。高専の研修旅行でつくば市を訪れた時に、見た記憶がある。レプリカだったかもしれない。その厳重なガラス容器に密閉された金属の塊が、1kg という重さを決めている。重さという単位は、こうやって決められているんだなと感心した覚えがある。 -
2014 年は、モノを捨てて知恵に置き換える年だった
人に読まれることを前提としたブログを高校に入学した頃から細々と書いていて、かれこれ十年は続いている。飽きっぽい僕にとって、一番長く続いた趣味だと言えるが、書くことが上達している気配は微塵もない。能ある鷹は爪を隠すと言うが、能がないか、隠した場所を忘れてしまったかのどちらかだろう。まあ、普段はそういうことを気にしていない証拠に、今年もこのブログに忘備録のようなものを残した。 -
宮古島をレンタル原付でぐるりと旅してきた
そういえば、一ヶ月前に休暇で宮古島を旅してきた。羽田 → 那覇 → 宮古と飛行機を乗り継いでいく。沖縄本島に行ったことがないのに、最初の沖縄として宮古島を選んだのは、なんとなく自分に合っているだろうという直感だった。 -
ものを減らし続けた向こう側
物欲というのが、わりかしすっきりした。手当たり次第、買い求めては飽きる生活からの学びが、今ここにある感じがしている。部屋のものの数はぐっと減った。一人暮らしをはじめた大学生の頃も十分少なかったのだけれど、それよりもさらに減った。 -
ハリオ コーヒーミル・セラミックスリム
新宿の紀伊國屋書店と同じブロックにあるヤマモトコーヒー店でコーヒーミルを購入した。今までは、挽かれたコーヒー豆とカリタのコーヒードリッパ 101 でコーヒーを淹れていたけれど、元旦に書いた 2014 年のやりたい項目に「コーヒー豆を挽く」があったし、会社のオフィスに来客さんから頂いたコーヒー豆(タリーズコーヒーで購入されたもの)が放置されていたから、ハリオのコーヒーミル・セラミックスリムを購入するまでに至った。 -
結跏趺坐
去年の冬から頻繁に心が荒れている。物心が付いてから、季節が変わるたびに二週間はそういう期間があるけれど、これは最長記録ではないか。心が荒れていて雑音が煩い時は、大切に編んだ生きるための理由(あるいは、死なないための工夫)が、誰かの手によって解かれようとしているのを感じる。そんな時、足を組んで座るようになった。座禅のような高尚な行為ではなく、我流の何かである。足を組んで姿勢を固定し、呼吸を浅く整えていると気分が落ち着く。 -
「ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学」を読んだ
サイズの異なる動物間であっても、共通のルール(心臓の鼓動回数、体重当たりの総エネルギー使用量など)があることを説いた本である。1992 年に出版され、69 版されているベストセラーだ。何かの小説の中で引用されていたのをきっかけに読んだ。 -
捨てる理由、捨てた後に残るモノ
自分でも狂気じみている感を拭えないぐらいに、「捨てる」ことに躍起になった冬だった。着心地の悪い服、もう目を通さない書類、趣味の用品、思い出の品を写真を撮ってから捨てた。また、中学生時代から律儀に取っていたバックアップデータを削除し、もう連絡を取らない人たちを連絡帳から削除し、いくつかの LINE グループを削除した。東京に越してきた時より、何もなくなった。 -
「とらわれたくない。とどまりたくない。ここじゃない。どこか遠くに行きたい」
「とらわれたくない。とどまりたくない。ここじゃない。どこか遠くに行きたい」。心が訴える声を言葉にすれば、そのように表現出来るだろうか。その訴えが、この数年の間、僕を動かし続けていたように思う。特に、夢とか目標のない僕の唯一の「よすが」として、それは僕を支え、動かし続けた。 -
大人になるということは、心の穴を自分で埋められるようになることだ
誰の心の中にも穴が空いている。それは普段、意識することのない穴だが、ダム穴のように暗い吸引力を持っている。穴は何故空いているのか?それは、人の生まれの理由のなさに起因する。ぼくたちは、別に生まれてきたくなかったのに、気付いた時には、意識が与えられ、名前が与えられ、「生きろ」と命令される。生まれた時には、泣いて、生きていたくなんかないんだと抗うのが精一杯だ。だから、生まれた時に、心のどこかに違和感という小さな穴が空けられる。 -
2013年は、部屋に籠城するのに飽きて旅と散歩をした年だった
もう今年が終わろうとしているのに、今年が平成何年かを答えるのに 10 秒ぐらい必要だ。 -
退屈な僕の退屈
もう一週間以上経っているが、先日、12 月 7 日は 24 歳の誕生日だった。誕生日は、昔のことを反芻するいい機会だ。それで Evernote を何気なく遡っている時に、昔、運営していたテキストサイトの過去ログが詰まった .txt ファイルを発掘した。 -
逃げる≒飽きる/自殺という切り札/共有しない楽しさ/一人称「僕」/そして
旅の移動中に最近考えていることをメモに書き留めている。ただでさえ寒いのに、雪が降るところに来てしまった。 -
夏の、吹く風が心地よく感じる夜に
夏の、吹く風が心地よく感じる夜に、炭酸飲料を飲むのがたまらなく好きだ。生きている、という感じがする。長年過ごした北九州市では、開発されて味気なくなった公園から火力発電所の航空障害灯の明滅を眺めた。大学時代を過ごした豊橋市では、人気のないスーパーの自動販売機前の手すりに腰がけて、道路向かいのパチンコ店を眺めた。そして、今は渋谷区のとある公園のベンチにだらしなく座って、頭上に広がる広葉樹の展開する葉を眺めている。風が吹く度に背後に咲いている香り高い花が主張し、頭上で葉が擦れる優しい音がする。花の匂いは幾度となく嗅いだ記憶があるが、花の名前はしらない。花弁は白く分厚く、虫に好かれているのか黒ずんで汚れている。雄しべと雌しべを包むように、幾枚の花弁が円を描きながら巻かれている。左手には冷えたドクターペッパー缶があり、かすかにぱちぱちと炭酸の跳ねる振動が感じられる。 -
Plague Inc. -伝染病株式会社- 攻略: 伝染病となってすべての人類を滅ぼそう。勝利の定石を解説します!
iPhone, iPad で遊べるストラテジーゲーム Plague Inc. の攻略記事です。 -
掃除をすることは、人生を考えることに相似している
土曜日の朝に目が覚めた僕は、掃除を始めた。部屋の隅から隅までクイックルワイパーで水拭きをした。トイレとユニットバスをトイレクイックルで磨き上げた。こう文章に起こしてみると僕は花王のクイックルシリーズが好きなのかもしれない。その後、新宿に出て暇を潰し、夕方に新型の iMac(薄すぎる!)を受け取り、環境構築をしてその日は寝た。 -
落ち葉拾いの孤独
新宿アイランドタワーの前を毎朝自転車で通る。赤く太い「LOVE」のオブジェが置かれていることで有名だ。 -
2012 年の振り返りと 2013 年の目標
帰省してるので両親や祖父母に元気な顔を見せ付けています。 -
ジャンク惹句ジャック(2012 年 12 月 24 日)
クリスマスですね。生きているだけでリア充(by 豊崎愛生)な僕は、午前中は Mac アプリケーションを勉強していました。ボタンを押したらテキストが表示されるとかそういうアプリケーションを作りました。来年の目標は、Mac アプリをリリースすることですかね。ちなみに、Cocoa Programming for Mac OS X (4th Edition) という本を Kindle で購入して勉強しています。 -
憂鬱カメレオン(2012 年 12 月 23 日)
何も生産しない日だった。昨日買った Nintendo 3DS LL(2 年ぶりに携帯ゲーム機を購入した)にダウンロードしたゼルダの伝説〜時のオカリナ〜とポケダンを順番に遊んだ。名作と呼ばれる時のオカリナはプレイしたことがなかったので新鮮である。ただ、映像が 3D なのでプレイすると少し酔ってしまう(もちろん、本体の 3D 機能は OFF)。酔ったら可愛いポケダンを進めていた。カセットを変えなくても、ゲームを切り替えれることに感動した。ただ、RPG というゲームに違和感を覚えるようになったのに気付いた。iPhone アプリで展開されるソーシャルゲームの手軽さに頭が慣れているからか。